東京高等裁判所 昭和40年(う)691号 判決 1967年9月18日
主文
原判決を破棄する。
被告人木村忠一を懲役三月に、同椙山東を懲役二月に各処する。
ただし、被告人両名に対し本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
原審および当審における訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。
理由
一検察官の控訴趣意第一点について。
論旨は、原判決には、被告人らは本件第二四列車が日本国有鉄道浜松駅構内上り本線に到着した時から同駅を発進するまでの約一八分間にわたり、威力を用い日本国有鉄道の輸送業務を妨害したとの公訴事実を減縮し、被告人らは、同列車が同駅を発進する直前の約二分間にわたり威力を用いて日本国有鉄道の輸送業務を妨害したとの事実を認定した点に事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
よつて検討するのに、原判決挙示の関係証拠によると、昭和三六年三月一五日第二四列車瀬戸号が上りホームに到着し停車したのは午前二時三五分頃と認められるのであるが、その頃被告人木村忠一、同椙山東両名の指揮する国鉄動力車労働組合側行動隊約二〇〇名が七、八列縦隊でスクラムを組み、指揮者の吹くピーピーという笛の音に合わせてワッショイ、ワッショイと掛声を上げながら、右第二四列車機関車前面に向つて前進し、同機関車前方約一〇米の地点に達し公安職員と対峙する態勢となつたが、結局午前二時四八分頃から一斉に着手された公安職員の実力行使により同二時五三分頃排除され終つたものと認められるのである。ところで、およそ、威力業務妨害罪は業務の執行またはその経営に関し、妨害の結果を発生させるおそれのある行為をすることによつて成立し、現実に妨害の結果を発生させたことまでを必要とするものでないと解されるところ、前記第二四列車瀬戸号は定時運転としては、浜松駅に午前二時一五分三〇秒着、同二時二二分発車と定められていたのであるが、同夜は遅延して前記の如く午前二時三五分頃浜松駅に到着しているのである。このように列車が遅延している時は、国鉄では、できるだけ早く発車させて遅延時間を回復するため、所定のダイヤによる停車時間にかかわらず、これを少しでも短縮して早く発車させる取扱になつているのである。してみると、右列車は午前二時三五分浜松駅到着以後いつ何時発車するとも分らない状態にあつたものといわざるを得ない。もち論列車が駅に到着してから発車するまでには所要の取扱手続があり、若干の時間を要することは当然で、現に当時当務駅長の職務を行なつていた輸送助役岩崎博も「第二四列車の列車扱に従事し、同列車が遅延していたから五分停車で出すつもりであつた。」と供述している。しかし、何分間停車するものとその限界を明確に劃することはできないのであつて、列車取扱当務駅長であつた輸送助役岩崎博をはじめ国鉄側の同列車取扱者は所論も指摘しているような態様で当時所定ダイヤの停車時間をできるだけ短縮し速かに同列車を発車させようと努力していたのであり、少くとも被告人らのような同列車取扱関係者以外の者にとつては、現に同列車が浜松駅に到着している以上それ以後何時発車するとも分らない状態にあつたものというべきである。してみると、被告人両名の指揮する動力車労働組合側行動隊約二〇〇名において、第二四列車が午前二時三五分頃浜松駅に到着した頃より午前二時四八分頃公安職員の実力排除が開始され間もなく排除され終るまでの間、右列車の機関車前面の進路軌道上およびその附近に立ち塞がつた行為は、その際における高梨敏雄機関士、杉浦武幸同助士の発車準備完了時点が具体的に何時であつたかを問うまでもなく、右列車の発進を妨げるおそれのある状態を生じさせた行為であり、威力により日本国有鉄道の輸送業務を妨害したものといわざるを得ない。もつとも、右列車が浜松駅に到着したのは午前二時三五分頃であり、同駅を発車できたのは漸く午前二時五三分であつて、その間の遅延をすべて被告人らの右列車の発車妨害行為に基づくものと断定できるか否かは、今井博機関車課長の情勢判断とも関連して疑問がないわけでもないが、だからといつてその間国鉄の輸送業務が全くなつたというわけのものでもないし、前示のように威力業務妨害罪は現実に妨害の結果を発生させることを要しないのであるから、右発車準備完了の時点如何は犯罪の成否そのものには直接関係しないというべきである。してみれば、被告人両名が国鉄動力車労働組合員ら約二〇〇名と共謀のうえ昭和三六年三月一五日午前二時三五分頃より同日午前二時五三分頃まで列車の発進を阻止し威力を用い日本国有鉄道の輸送業務を妨害したものであるとの公訴事実に対し、同判決が昭和三六年三月一五日午前二時五一分頃右発車準備完了の時点から同日午前二時五三分頃までの間右列車の発進を妨げたに過ぎないと認定したのは事実を誤認した(そうでなければ法令の解釈適用を誤つた)ものであつて、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。検察官の論旨は理由がある。<後略>(新関勝芳 吉田信孝 伊東正七郎)
控訴趣意
検察官の控訴趣意
第一点 事実誤認
原判決には、被告人らは、本件第二四列車が日本国有鉄道浜松駅構内上り本線に到着した時から同駅を発進するまでの約一八分間にわたり、威力を用い日本国有鉄道の輸送業務を妨害したとの公訴事実を減縮し、被告人らは、同列車が同駅を発進する直前の約二分間威力を用い日本国有鉄道の輸送業務の妨害したとの事実を認定した点に事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
すなわち、原判決は、
「被告人木村は国鉄動力車労働組合中央執行委員であり被告人椙山は同組合中部地方評議会事務局長であるが、被告人両名は、日本国有鉄道の輸送業務を妨害しようと企て、同組合員ら約二〇〇名と共謀のうえ、昭和三六年三月一五日午前二時三五分頃同鉄道浜松駅構内上り本線に東京行第二四列車(急行瀬戸号)が到着するや右組合員らとともに同列車機関車の直前に出て進路軌道上およびその附近に立ち塞がり、スクラムを組み笛を吹きながら「ワッショイ、ワッショイ」と大声を発するなどの挙に出で同駅助役、乗務員らに対して威勢を示し、同日午前二時五三分頃まで該列車の発進を阻止し、もつて威力を用い日本国有鉄道の輸送業務を妨害したものである」。
との公訴事実に対し、理由中の四、本件発生直前の状況の(三)において「同日午前二時三五分頃同駅上り本線に上り急行第二四列車瀬戸号・・・が・・・停車した。その頃上り本線軌道上を東方から、被告人木村忠一、同椙山東両名の指揮する動労側行動隊約二〇〇名が七、八列縦隊でスクラムを組み、指揮者の吹くピー・ピーという笛の音に合わせてワッショイ、ワッショイと掛声を挙げながら、右第二四列車機関車前面に向つて前進し、同機関車前方約一〇メートルの地点に達した。その頃これを阻止するため公安職員約五〇名が各機関車前方約七、八メートルの地点に横隊を組んだので、動労行動隊は右公安職員の前方において気勢を挙げながら足踏状態となり、公安職員と対峙する態勢となつた。そのため前記駅長らは電気メガホンを以つて動労行動隊に対し直ちに退去するよう数回に亘つて通告した」事実、「当局側においては、・・・浜松駅で乗継する乗務員として機関士高梨敏雄、機関助士杉浦武幸・・・を予定し、同列車到着前から対策本部に待機中であつたが、列車到着後動労側行動隊の出動状況から、・・・右乗務員を動労側に連去られることをおそれ、・・なお数分間右対策本部に待機させたうえ、・・・約一〇名の当局側護送班の護衛の下に同本部を出て、同列車に向かわせ、同日午前二時四七分頃同列車の機関車に乗込ませて乗継を了した」事実および「前記乗務員の乗継の事実を知つた公安職員の指揮者・・・高柳廉之助、・・八木勝太郎らは動労行動隊に対し重ねて退去通告をしたが、行動隊がこれをきき入れる様子もなくなおも気勢を挙げているので、午前二時四八分頃公安職員を指揮して実力排除の警告を発した上直ちに一せいに実力排除に着手した」との事実をそれぞれ認定しながら、「罪となるべき事実」においては右公訴事実を減縮して、
「被告人両名は叙上の如く国鉄動力車労働組合の組合員ら約二〇〇名と共謀の上、昭和三六年三月一五日午前二時五一分頃、日本国有鉄道浜松駅構内上り本線に停車中で、高梨敏雄機関士、杉浦武幸同助士が乗務し、既にその発車準備を完了し発車しようとしていた東京行上り第二四列車(急行瀬戸号)の機関車前方附近に右組合員中百数十名において集団をもつて右進路軌道上およびその附近に立塞り、その頃から同日午前二時五三分頃まで右機関士らによる右列車の発進を妨げ、以つて威力を用いて日本国有鉄道の輸送業務を妨害したものである。」
との事実を認定し、本件第二四列車が同駅に到着した時から午前二時五一分頃までの間における被告人らの威力業務妨害の事実を不問に付し、前記乗務員の乗継を経て公安職員による実力排除が開始されたのち、さらに約三分を経過した午前二時五一分頃から同列車が同駅を発進(午前二時五三分頃)するまでの僅か二分間の威力業務妨害の事実を認めたのである。
しこうして、原判決は、右のように減縮認定した理由につき、理由中の六、当事者の主張に対する判断の(二)において、
「検察官は、被告人両名は他の動労組合員約二〇〇名と共謀の上昭和三六年三月一五日午前二時三五分頃第二四列車が浜松駅構内上り本線に到着した時から同列車が同日午前二時五三分頃同駅を発車するまで約一八分間起訴状記載のような威勢を示して該列車の発進を阻止し、もつて威力を用い日本国有鉄道の輸送業務を妨害したと主張するが、当時右第二四列車は浜松駅において乗務員の乗継交替が予定されており、国鉄当局はその乗務要員として高梨機関士、杉浦同助士を予定手配し、同列車は昭和三六年三月一五日午前二時三五分頃浜松駅に到着したけれども、当局は右乗務員が動労側に連れ去られるのをおそれる余り、今井機関車課長の指示により右列車到着後もなお数分間前記高梨、杉浦の両名を駅舎本屋内の対策本部に待機させるなどしたため、同人らが現実に同列車の機関車に乗込んだのは列車到着後約一二分後の同日午前二時四七分頃であり、しかもその後約四分を要して機関車内の点検を終え、また駅側で発車準備作業を了し、同列車が発車可能の態勢をととのえたのは同日午前二時五一分頃であつたことは前記認定のとおりである。
そもそも乗務員が機関車に乗込み、発車準備が完了しない以上当該列車が発車できないことは明らかであるところ、右乗務員両名が対策本部に待機させられたのは当局側における一方的、主観的な情勢判断によるものであつて、被告人ら動労側の所為に基づくものとは言い難く、また動労側で第二四列車到着後において特に前記乗務員らが同列車の機関車に乗車するのを妨害し、もしくは駅側でなすべき発車準備作業の遂行を妨害した事跡を認めるに足る証拠が存しないので、列車到着時から発車準備終了時たる同日午前二時五一分までの間における同列車遅延の責任を被告人らに負わせることはできない。」
と判示している。
しかしながら、原判決は、発車準備の完了の時点にとらわれ、被告人らの本件行為により、発車準備の完了をまつまでもなく、同列車の到着の時点から同列車についての国鉄の輸送業務、すなわち、国鉄当局側の一連の発車準備および発車作業の正常な執行が阻害されたこと、あるいは阻害される危険性が生じていたことを看過しているものといわなければならない。すなわち、本件列車は、国鉄の基本的業務である輸送業務を遂行するため、所定の輸送計画に基ずき運行されており、一定の停車駅に到着し、同駅で客貨の取扱を終れば一刻も早く発車することが当然予定されているのであつて、浜松駅においても、被告人らの本件行為さえなければ、列車の到着と同時に直ちに駅側の一連の発車準備および発車作業が進められ、同駅における客賃の取扱に要する停車時間を入れてもなお、その到着の時より約五分間で発車し得たはずであつたのである。しかるに、被告人らは、同列車が到着すると同時に、集団で同列車機関車の直前に出て進路軌道上およびその附近に立ち塞がり、公訴事実記載のような威勢を示すにいたつたため、同列車についての機関士ら乗務員二名の乗務を含む駅側の一連の発車準備作業はその到着の時から妨げられ、ひいては発車遅延を生ずるにいたつたものであつて、原判決が被告人らにおいて同列車の到着の時から駅前の発車準備作業の遂行を妨害し、ひいては同列車の発進を妨害している事実を認定しなかつた点に誤認があるものといわなければならない。
以下その理由を述べる。
一 第二四列車の到着とその発車阻止のための被告人らの行動概要
1 第二四列車は、電気機関車ほか一四両編成の宇部発東京行急行(旅客列車)瀬戸号であるが、多数の乗客を乗せ、昭和三六年三月一五日午前二時三五分三〇秒東海道本線浜松駅上り本線に、定時より二〇分延で、機関車前頭部を上りホーム東端により約一七・六メートル東京の地点に位置して到着停車した。所定ダイヤによる定時の着発時間は午前二時一五分三〇秒着午前二時二二分発となつていた。<記録丁数は省略>
2 右第二四列車についての駅側のなすべき業務の詳細は後述するが、国鉄では列車が遅延しているときにはできるだけ早く発車させて遅延を恢復するため、所定のダイヤによる停車時間(着時間と発時間の間の時間)にかかわらず、これを少しでも短縮して早く発車させる取扱になつており、職別運転取扱心得駅長編第二七条には、
駅長は、列車の遅延が他の列車に大きな影響を与えるおそれのあるときは、その旨を鉄道管理局長に報告して指令を受けた上、(1)旅客、荷物の取扱時分を短縮すること又は車両入換を制限すること、((2)省略)、(3)中間停車駅では(1)によるほか、車両の連結を制限することの取扱により列車の遅延を恢復することに努めなければならない。
旨が規定されており、また、同心得機関士編第二〇条にも、
列車が遅延したときには許された速度の範囲内でこれを恢復することに努めなければならない。
と規定されている。
そして、本件につき、現に当務駅長の職務を行なつた輸送助役岩崎博は、「第二四列車の列車扱に従事し、同列車が遅延していたから五分停車で出すつもりであつた、組合の人達が機関車の前にいなかつたら五分停車で発車できたと思います」と証言しており、また、同列車運転車掌榊原勇も、「同列車到着前より上りホームの所定位置に出場していたが、同列車到着と同時に直ちに運転掛車掌の引継を受けて停車監視をし、到着後約五分で客の乗降、荷物の積卸しが終了したことを確認し、遅延している同列車を一刻も早く出発させようとした」旨を証言しているのであつて、このように駅側の発車準備が同列車の到着前から進められており、被告人らの行動さえなければ午前二時四〇分頃には発車し得たことが認められるのである。
3 そこで、被告人らの行動をみるに、原判決も認めるとおり、同日午前二時三五分頃本件第二四列車が到着したのと同時頃、同列車の進路である上り本線軌道上を東方から被告人両名の指揮する行動隊約二〇〇名が七、八列縦隊でスクラムを組み、指揮者の吹くピー・ピーという笛の音に合わせてワッショイ、ワッショイと掛声をかけながら同列車機関車前面に進出し、機関車前方一〇メートルの地点に達し、足踏状態となり、同軌道上およびその附近に立ち塞がつた事実は各証拠により明らかなところである。
右行動隊約二〇〇名の機関車直前への接近を目撃した八木勝太郎浜松駅公安室長は、右行動隊により機関車が包囲されて乗務員の交替が不可能となることをおそれ、公安職員二個分隊約五〇名に命じて機関車前面に二、三列横隊となつて警備配置につけたところ、組合員行動隊は、公安職員の五、六メートル手前に立ち止まり、軌道およびその附近において東方に向け長く帯状の隊形で、被告人両名の笛に合わせ、引き続きワッショイ、ワッショイと気勢を挙げながら足踏を継続した。
その状況は、高橋恵雄撮影の現場写真および小関政次撮影の現場写真などに、そのまま写し出されている。
4 このため、列車の正常運行を期する当局側は、先ず安藤操駅長において、組合側に対し、連続三回電気メガホンにより「構内に入ることを許可しておりませんから直ちに構内から出て下さい」と退去通告をし、さらに、八木勝太郎浜松公安室長も、右メガホンを借り受け、行動隊の先頭部附近から引き続き一五、六回同様の退去通告を行なつたが、行動隊は、これに応ぜず、気勢を挙げながら立ち塞がり行為を続け、乗客からも組合側の行動に対し憤懣の声が発せられるような状態となつた。
その際、被告人両名は、行動隊最前列右側にあつて笛を吹き鳴らし、それに合わせて掛声を挙げさせ、右行動の指揮をとつていたもので、その姿は、前記高橋恵雄撮影の現場写真にも明瞭に写し出されている(なお、笛をくわえた指揮者のうち、向つて左側メガネをかけた男が被告人木村、その隣りの他の一人が被告人椙山である)。
しこうして、右被告人らの行動隊二〇〇名は、後に公安職員に実力により排除されるまで右機関車前面における立ち塞がり行為を継続していたものである。
二機関士高梨敏雄および同助士杉浦武幸が第二四列車の機関車に乗り込むまでの経過、とくに、被告人らの行為により右高梨敏雄らの正常な乗継乗務の執行が阻害された事実
1 当局側において、第二四列車に浜松駅で乗継する乗務員として機関士高梨敏雄、同助士杉浦武幸を予定し、右両名が同列車到着前から乗務準備のため浜松駅長室東側講習室内の対策本部に待機していたことは、原判決も認めるところであり、証人今井博、同高梨敏雄の各供述等により明らかである。
2 しこうして、本件闘争に際し被告人らは、一〇割休暇闘争の名のもとに浜松支部所属の全組合員から休暇届を集約し、当局側の乗務員代替措置その他のあらゆる対策を阻止し列車の運行を停止させるとの方針にもとづき、多数の組合員および支援の労組員を動員し、当局側の再三の警告および立入禁止措置にもかかわらず、浜松駅構内に立ち入り、同年三月一三日夜から乗務員のいわゆる説得連行または発車阻止などの闘争を行なつたものであつて、その具体的事例としては、
(1) 一四日午前一時三二分到着した下り貨物第三七一列車につき被告人椙山の指揮する行動隊約一〇〇名がワッショイ、ワッショイと掛声を挙げながら殺到し、機関助士を人波の中に巻き込み連行した。
(2) 一四日午後三時頃到着した上り貨物第一五八列車につき、当局側が下番乗務員に出張命令書を交付した際、被告人木村指揮の行動隊約二〇〇名が列車直前にスクラムを組んで立ち塞がり発車を阻止した。
(3) そのほか、一四日午前六時二八日頃到着した上り第五、三二二列車、同日午後零時三五分頃到着した上り第一二二列車同日午後一時二分頃到着した上り第三八列車などにつき、同様の行動が行なわれた
などの事実が挙げられる。
これに対し、当局側では、あくまで列車の正常運行をはかるため、できる限りの努力をするとの方針のもとに、その対策として、乗務員の確保に努め、これを浜松市内の松島館、三友館、満茂登の三旅館に収容休息させていたところ、組合側の行動は激しさを加え、
(1) 三月一四日午後一〇時頃から右旅館等が組合側ピケ隊に包囲されたという情報が入り始め、確保した乗務員を所定の各列車に乗務させることが困難な状態になつた。
(2) 一五日午前零時四二分発予定の上り貨物第五〇列車等につき、組合行動隊の妨害により乗務員をホームまで出しながら乗務させることができなかつたという事態が生じた。
(3) その後当局側では、貨物列車の運行をあきらめて旅客列車の運行に全力を尽すことになり、その直後の上り旅客第一三二列車から組合側の妨害を回避するため、前駅交替、すなわち、上りについては高塚、下りについては天竜川の各駅で乗務員を交替させる措置をとつた。
(4) 一五日午前零時五五分頃到着した下り第一、三一一列車につき、組合側行動隊約一〇〇名が機関車を取り囲んで立ち塞がり、また、約三〇〇名が機関車南側に集結して発車を阻止した。
(5) 本件発生の直前である一五日午前二時一三分頃上り本線に一九分延で到着した第二六列車急行出雲については、当局側は、浜松駅等のピケが減つたという情報にもとづき、むしろ右高塚、天竜川の両駅で乗務交替を妨害されるおそれがあると考えて、浜松駅で交替乗務させたが、原判決も認めるとおり、被告人両名の指揮する行動隊約二〇〇名が機関車前に立ち塞がつて妨害したため、公安職員の実力排除により、漸く午前二時二四分頃遅延して発車するにいたつた。
(6) 引き続き、一五日午前二時三二分頃浜松駅下り本線に到着した下り第二三列車急行瀬戸については、前駅の天竜川で交替乗務させたばかりの乗務員が、浜松駅に到着直後組合側行動隊に連れ去られた。
このような状況の下にあつて、右第二三列車が到着した約三分後の一五日午前二時三五分頃上り本線に第二四列車瀬戸号が到着した。当局側としては、同列車の到着と同時に、その到着乗務員と交替して、前記機関士高梨敏雄、機関助士杉浦武幸を同列車に乗り込ませようとしたのであるが、当時静岡鉄道管理局機関車課長であり、本件闘争に際し対策本部付要員として乗務員の確保および運用にあたつていた今井博は、前記のような状況に加え、たまたま多数の組合側行動隊が機関区方面から同列車に向つて集結して来たという連絡があつたため、直ちに右高梨敏雄らを同列車に乗り込ませることにすれば、同人らが組合側行動隊によつて他に連れられるおそれがあると考え、当時対策本部にいた松村管理局長、対策本部長であつた土屋総務部長とも協議し、暫時右高梨敏雄らを待機させるほかなしと判断し、同列車が到着してから約五分間同所に待機させたうえ、午前二時四〇分頃機動班長菊島喜久雄の指揮する護送班約一〇名に護衛させて対策本部から出し、第二四列車の機関車に向わせたものである。
3 乗継乗務員の乗継については、通常の場合、機関車機動車乗務員執務要項六六頁昭和三五年一二月二〇日静達甲第一六八号東海道本線電気機関車乗継細則第九条に、
乗継乗務員は、列車到着の五分前までに乗継箇所に出場し、列車の到着を待つものとする
と規定されており、浜松駅では、上りホーム東端にある乗務員詰所で待機することとされており右乗務員両名も、同列車に乗務する意思を有していたことが明らかであるから、もし前記のような被告人らの一連の行為さえなければ、当然右規則のとおり、列車到着前から所定位置でその到着を待ち、列車到着と同時に機関車に乗務して乗継を行ない、一刻も早く発車するための措置を講ずることは明らかであつたのである。
4 原判決は、前記のように、「右乗務員両名が対策本部に待機させられたのは、当局側における一方的、主観的な情勢判断によるものであつて、被告人ら動労側の所為にもとづくものとはいい難い」ものとしているが、右今井博らの判断と措置は、被告人ら組合側の前記のような一連の行動を内容とする客観情勢を正確に把握した結果の合理的な判断と措置であつたというべきであつて、右乗務員両名の乗務が遅れたことは、正しく被告人ら動労側の所為にもとづくものであつたのである。
三列車扱当務駅長および運転車掌の発車作業について
1 列車扱当務駅長輸送助役岩崎博および運転係久米幸雄の列車扱と第二四列車について、被告人らの行為によりその正常な業務の執行が阻害された事実
浜松駅における列車扱当務駅長(輸送助役または運転掛)の通常の業務内容は、上り列車到着三分前に上りホーム助役派出所内の接近標示灯が点灯すると同時に、ホームに出場して到着監視をし、ついで、客の乗降や荷物の積卸し等を監視する停車監視をし、発車一分前には、右派出所附近のホーム柱に認置されているアラームベルを鳴らし、同時に、出発信号機降下合図ベルを押して信号扱所の信号掛に出発信号機を進行信号に切換えるよう指示するとともに、改札掛に改札打切りの合図をし、出発信号機の進行現示を確認したうえ、列車最後尾にいる運転車掌に出発指示合図を行なうことになつていた。
したがつて、列車扱当務駅長は、すべて上りホーム助役派出所附近に佇立して、右各監視ならびに四個の押ボタンスイッチを操作することによりその任務を果し得るものである。
本件第二四列車の場合、岩崎博は、右上りホーム派出所附近において到着および停車監視に従事し、先に述べたとおり、約五分間停車で発車させる予定であつたところ、乗務員がいないので、発車を待つようにとの連絡を受け、乗務員の交替を確認するために機関車附近に赴き、以下異例の方法で列車扱をすることを余儀なくされた。
すなわち、その頃同列車の機関車前面軌道上には被告人ら行動隊が笛の音に合わせてワッショイ、ワッショイと気勢を挙げながら、公安職員と対峙して立ち塞がつており、午前二時四六分頃になつて、機関士高梨敏雄、助士杉浦武幸が約一〇名の護送班に護衛されて到着し、前部乗降口から機関車に乗り込んだので、これに続いて自ら機関車ステップに上り、窓越しに乗務員に「信号機を降下させ発車合図をさせるから出れない状態でも出発汽笛合図を鳴らしてくれ、出る時期については別に指示する」旨を指示し、午前二時四七分頃運転掛久米幸雄に同列車の後部へ移動して列車扱をするよう依頼し、自らはホーム東端にあるトークバックを使用して信号扱所の信号掛に指示して出発信号機を進行信号に切り換えさせた。そして、八木公安室長に列車の発車態勢が完了したことを通告した。
右久米幸雄は急拠駆け足でホーム中央の前記派出所附近にいたり、アラームベルおよび改札打切りベルを鳴らし、出発信号機の進行現示を確認したうえ、後部車掌に出発指示合図を行なつたが、さらに二度三度と合図を送つたところ、漸く午前二時五一分頃最初の出発汽笛合図が聞えてきた。
2 運転車掌榊原勇の発車作業と第二四列車について、被告人らの行為によりその業務の正常な執行が阻害された事実
運転車掌の業務内容は、停車監視および出発監視(職別運転心得車掌編第三〇条)を行なうほか、当務駅長の指示により、自ら、機関士に対し、出発合図器の押ボタンを押し、機関車前方出発信号機に設置された白色灯の点灯とブザーの音により出発合図を行なうことになつていた(同心得車掌編第一七〇条)。
本件第二四列車の場合、榊原勇は、すでに午前二時一二分頃上りホームの所定位置に出場して同列車の到着を待ち、午前二時三五分頃到着するや、直ちに車掌の引継を受けたうえ、停車監視に従事し、遅延している同列車を一刻も早く出発させるつもりで当務駅長からの出発指示合図を待つたが、到着後約五分で客の乗降、荷物の積卸しが終了したのにかかわらず、その合図がこず、到着後一五、六分を経つて午前二時五〇分頃漸く出発指示合図があつたので、直ちに機関士に対し、出発合図を行なつたが、汽笛が鳴つただけで発車せず、その後約二分経過して漸く発車するにいたつた。
以上のことから明らかなとおり、右当務駅長および運転車掌の発車準備作業は、すでに第二四列車の到着時の正常にすすめられる態勢にあつたのであるが、被告人ら行動隊が同列車の到着と同時頃から前記のような行動に出たため、右岩崎博、久米幸雄および榊原勇の各業務の正常な執行が妨げられるにいたつたことが認められるのである。
そして、右岩崎博らの各業務の執行が妨げられたことは、前記高梨敏雄ら乗務員両名の交替が遅れざるを得なかつたことに密接に関係することは、もちろんであるが、国鉄の輸送業務については、当務駅長、運転車掌、機関士、機関助士、信号掛その他の関係職員の各業務が有機的に結合し、一体となつて、その業務を遂行しているものであることは、いうをまたないところであつて、被告人らの行為によつて、右岩崎博らの各業務を含む国鉄の輸送業務の執行が阻害されたことが認め得られるのである。
四機関士高梨敏雄ら乗務員両名が第二四列車の機関車に乗り込んでから発車にいたるまでの経過
1 機関士高梨敏雄、同助士杉浦武幸の両名は、同列車が到着した後約五分を経過した午前二時四〇分頃機動班長菊島喜久雄の指揮する約一〇名の護送班に護衛されて対策本部を出発し、午前二時四六分頃機関車に到着し、四七分頃前部乗降口から機関車内に乗り込んで乗継を了した後、外部点検を省略し、機関車気動車乗務員執務要綱第一二条等所定の乗継通告券の点検その他機関車内点検を約四分間で終え、午前二時五一分頃乗務員としての発車準備を完了したが、これは、原判決の認めるところである。
その間、午前二時四七分頃前記岩崎博は、乗務員二名が乗継を了したことを確認したので、安藤操駅長および八木勝太郎公安室長に対し、同列車が発車態勢にあることを通告した。そこで、安藤駅長は、再び組合側行動隊に退去通告をし、八木公安室長および管理局公安課長高柳廉之助も重ねて退去通告を行なつたが、行動隊がこれを聞き入れる様子もなく、なおも気勢を挙げているので、遂に午前二時四八頃実力排除の警告を発し、直ちに公安職員約五〇名が実力排除に着手し、行動隊の一人一人を切り離して線路の北側方面に引き出し始めたが、組合側の抵抗に合い混乱状態となつているとき、午前二時五一分頃最初の出発汽笛が鳴つた。さらに、公安職員は、行動隊を次第に東方に押し流し、五三分頃漸く機関車前方から排除し終つたので、同列車は、短急汽笛を鳴らしながら最徐行で出発した。(なお、右発車時刻は、前記浜松運転状況表によれば、定時午前二時二二分発のところ三一分延と記載されているから、午前二時五三分と認められる)。
2 原判決は、「同列車が発車可能の態勢をととのえたのは午前二時五一分頃であつた」ことから「発車準備が完了しない以上当該列車が発車できないこと明らかである」として、右五一分以後の被告人の妨害行為のみを認定しているのであるが、右乗務員両名の機関車への乗込が遅れたことは、被告人らの所為によるものにほかならなかつたことは、前叙のとおりである。
なお、本件の場合、乗継点検に約四分を要しているのであるが、この乗継駅における点検の所要時分については、前記乗務員執務要綱にも、これに関する規定はなく(右要綱第七条には、出区点検の所要時分は二〇分と定められているが、乗継点検の所要時分についての規定はない。)、結局、各列車の停車時分に応じてその範囲内で行なわれることになつているのであつて、とくに、証人法月乙秋の証言および同公判取調済の昭和三六年三月一日改正機関車ならびに乗務員運用表によれば、当時急行または特別急行列車の停車時分は、乗継駅における乗務員乗継が行なわれる場合でも、二分または三分のものが数多くあるが、その短時間内に乗継点検を終え、正常な運行が行なわれている実情であつて、要するに、列車の停車時分、遅延状況等を勘案して、右停車時分に見合つた重点的点検で済ませているのが通例であり、しかも、遅延している場合は、できるだけ早く発車させる取扱になつているのであるから、乗継の際、機関車に異常がない限り一刻も早く発車する態勢で、右乗継点検が行なわれることが認められる。本件の場合、機関車には何ら異常がなかつたことが明らかであるから、事実上直ちに発車できる状態であつたことに留意しなければならない。
3 なお、業務妨害罪は「業務の執行またはその経営に関し妨害の結果を発生せしむべきおそれある行為により成立し、妨害の結果を発生せしめたることを必要としない」(昭和一一年五月七日大判集一五巻五七三頁)ものであり、また、「刑法第二三四条にいう業務を妨害したることとは、具体的な個々の現実に執行している業務の執行を妨害する行為のみならず、被害者の当該業務における地位にかんがみ、その遂行すべき業務の経営を阻害するに足る一切の行為を指称するもの」(昭和二八年一月三〇日最高判集七巻一号一二九頁)であることは、あらためていうまでもないところであつて、被告人らの行為によつて前記当務駅長、運転車掌、機関士、機関助士、信号係その他駅側関係職員の各業務を含む浜松駅における本件第二四列車についての国鉄の輸送業務の執行が妨害されていることは明らかであるといわなければならない。<後略>